2007.01.14

謹賀新年

 2007年になりました。あけましておめでとうございます。
 所長の出古井です。去年はあまり更新しないという体たらくでした。ですが、今年も同じようにマイペースでやっていこうと思います。

 今後とも第88研究所をよろしくお願い致します。

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2006.01.26

見えざるものは敵か味方か

 出古井です。
 不安は不安を呼び、小さな不安だとしても、すぐに大きくなります。その大きさは限度を知りません。
 私は「不安の深淵」と呼んでいます。
 最近、これに足をかけているのか、それともすでに落ちているかよくわかりません。あまり考えすぎると、それは不安となります。あまり考えすぎるのは、よくありません。

 不安をぬぐい去る方法は、ストレス発散と同じで人それぞれです。一般的にいわれるのは、不安であることを忘れるくらい忙しくすること。ケース・バイ・ケースですので、これが最良の選択というわけではありません。

 私の場合、不安は考えすぎず内包することにしています。不安を完全にぬぐい去ることはむずかしいので、不安を認めて内包してしまう。こうすることで、不安が大きくなるのを抑えます。ずっと不安のままではなく、ゆっくりと時間をかけて変質させていくのが目的です。どのくらいの時間が必要なのか、正直わかりません。
 例えとして正しいかどうかわかりませんが、これは爆弾を抱えるようなものです。しかし爆弾だとしても、使い方ひとつで結果はさまざまに変化します。

 不安は目に見えません。形もありません。それをとらえるのは、とらえる人の気持ち次第ということです。

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2006.01.02

謹賀新年

 2006年になりました。あけましておめでとうございます。
 所長の出古井です。去年は第4四半期からまったく更新しないという体たらくでした。須淡くんと土院くんにすこし任せすぎたかもしれません。
 今年はもう少し更新のペースをあげていこうかと思います。

 今後とも第88研究所をよろしくお願い致します。

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2005.05.16

ノー・ルール・ワールド

“ルールがない”というのが唯一のルールですと言い切ってしまうと、どこにでもルールはあります。広辞苑をひくとルールは「規則。通則。準則。例規」とあります。

 ルールはやぶるためにある、という人もいます。ですが、ルールをやぶる人ばかりだと、ルールを定めた意味がありません。
 ノー・ルール・ワールド。ルールがないからそれだけ自由な世界なのか、それとも文字通りルール無用の世界なのか。どんな世界なのでしょう。

 現代では外交手段のひとつ、戦争にもルールはあります。裏社会にもルールはあります。どこにでもルールは存在します。
 第88研究所も同様です。それは「他人の研究のじゃまをしない」です。原則として第88研究所の全研究員に共通する唯一のルールです。

 あとは各研究室ごとにローカル・ルールがあります。それぞれ好き勝手にルールを決めており、研究室によっては流動的によくルール改正がおこなわれています。
 ちなみにどのようなローカル・ルールがあるか例をあげますと、ラーメン禁止(とんこつのみ可)禁煙禁止といったものから、特例客員研究員入室禁止、という限定的な事柄までいろいろあります。

 ルールといっても、明記されわかりやすいところに掲示してあるのではなく、ほとんどが暗黙のルールです。

 ルールを守らないと、罰則の対象になります。暗黙のルールでも同様に、なんらかの処罰の対象となるでしょう。程度にもよりますが、処罰は自らの命と引き換えの場合もありえます。

 ちょっと話をそらします。
 仮にすべての人がルールを守らなくなるとどうなるか? 非常に簡単です。いままでの常識すべてが通用しなくなるでしょう。しかし、慣性の法則のように現状維持をのぞむ人たちが、今まで通りにルールを守ろうという運動をするかもしれません。
 どのような結果になるのかわかりませんが、混乱が起きることはたやすく想像できます。

 第88研究所だけで考えてみます。だれもがルールを絶対に守らないのであれば、だれも何も研究できないでしょう。今でもルールらしいルールは、ひとつしかありませんが、それでもあるとないとでは大きく異なります。

 ルールによって雁字搦めにするのがいいというわけではありません。最低限のルールは必要だと思います。それが常識的なことであっても、すべての人が共通した常識を持っているというのは幻想です。明確にすることで、ルールとしての効果を発揮します。

 だれからも認識されないルールは、ないも同然です。ノー・ルール・ワールドとは、ルールをルールとして認識しない世界なのかもしれません。

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2005.05.07

「常識を捨てる」と「常識がない」

 私たちは研究するうえでよく「常識を捨てる」といいますが、「常識がない」とはいいません。一見、ふたつの言葉は似ているようですが、内容はまったくちがいます。
 捨てるためには、捨てるものがなくてはいけません。つまり、常識は必須です。はじめからないものは捨てようがありません。

 研究時に常識がじゃまなだけで、研究が終われば常識は必要です。
 しかし研究に没頭すると、しばしば常識を捨てたことを忘れてしまいます。常識のない状態がしばらくつづきます。すると、ふと思い出したように常識を捨てたことを思い出し、拾いあげます。

 ですが捨てたことを思い出しても、常識を拾いあげようとしない研究員もいます。常識のないまま研究をつづけると、まれに思わぬ副産物がみつかることがあります。
 不思議とこれらの発見は、常識があるとみつかりません

 研究をつづけているかぎり、それでもかまわないのですが、研究室から一歩も外に出てきません。たまに研究室へ行き、生存を確認しています。私が第88研究所に入所したときから、ずっと外に出ていない研究者もいます。
 私も研究室にこもっていた時期があり、そういったときは、そっとしておくのがいちばんだとわかっています。

 常識がないのではこまります。常識を一時的に捨て、必要になったら拾いあげることが大事です。研究にもよりますが、第88研究所では、つねに常識が研究のじゃまをしがちです。

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2005.05.06

現代神話学

「~神話」といった逸話や都市伝説といったたぐいのお話です。実際の神話学ではありません。具体的には「土地神話」や「安全神話」といったものです。もっとせまい範囲でのみ通じる話でもかまいません。

 現代の神話は、口伝が主な伝播方法であり、正伝がないのが特徴です。またその内容は大ざっぱなことが多く、細かい内容は食い違うこともあります。広く知れわたった現代神話の発生もとの特定は非常にむずかしく、ほぼ不可能といってもいいでしょう。
 ごくせまい特定の人にのみがわかる現代神話は、特定が比較的楽です。ですが、噂話の集合体から発生した現代神話は、特定が困難です。

 現代神話のもっとも大きな特徴は、崩壊する点につきるでしょう。神話からの格下げと言い換えてもかまいません。崩壊してあとも“すでに崩壊した神話”として語り継がれることがあります。これも現代神話にみられる特徴です。
 実際の神話は崩壊しません。神話を根底から覆す決定的な物証が発見されれば別ですが、そういった発見はおそらくないでしょう。

 もしも神話を崩壊させる発見がされれば、考古学史上最大の発見といえるでしょう。それはそれで楽しみです。

 話は変わりますが弟88研究所には、トロイの木馬を越える発見をしようと世界を駆けまわっている研究室があります。発掘テーマは「神話の物証発見。もしくは既存神話の崩壊」です。すべてを発掘にかけているので、研究所には年に数回しか戻ってきません。今もどこかで盗掘――ではなく発掘をしていると思います。

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2005.04.20

補足説明

 先々日、第88研究所の創設について述べましたが、少々説明不足でした。

 最後のくだりに「創設しました」とあります。これではまるで私が第88研究所を創設したかのようですが、実際はちがいます。私は第88研究所の創設後に入所しました。
 創設時の所長は、すでに並行世界の第88研究所へ出向していて、私はお会いしたことがありません。いつ戻られるのかは、だれにもわかりません。

 伝え聞く話によると、とても自由奔放な人柄らしく、ふらっと戻られるかもしれないという声もあります。

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2005.04.18

時代に見捨てられた者のたたかい

 出古井です。
 最先端の研究をしていると、その時代の倫理と衝突することがあります。科学者としては、倫理と衝突することは研究の妨げとなるので、できるかぎり穏便に、また回避できるのなら回避しています。

 いちばんの強敵は、おそらく生命倫理でしょう。

 正直申しますと、私はたたかいたくありません。時代に適応した倫理とともに研究が進められれば、それに越したことはありません。ですが、ときに突出した研究は、時代に適応することができません。それゆえに突出しているのです。
 時代に適合した一般者からみると、理解の範囲を超越した研究は、非人道的バカげた研究にみえることでしょう。

 倫理との折り合いをつけ、研究をつづけることができればよいですのですが、それもまたけわしい道のりで、非常に時間を費やします。倫理とのすりあわせに費やされる時間を、すべて研究にまわすことができれば、新たな発見などが期待できます。
 その時代の倫理に受け入れられない研究が進むことは、時代から見放されるということを覚悟しなければなりません。時代によっては、異端者として命の危険にさらされかねません。

 それでも研究をつづけるがことができる――またはそれしかできない――研究者が自然と集まり、自分たちがやりたいことをやりつづける場所として、第88研究所を創設しました。

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2005.04.16

研究者の資質

 研究をしているとき、常に疑問を抱いています。あ、研究ではありませんでした。格闘勉学生きる糧正義等々、研究員によって呼び方はさまざまです。混乱をさけるために、便宜上ここでは「研究」を使用します。

 実験の結果が予想とかけはなれていると、どこかでヒューマンエラーを起こしたのではないかと考え、再実験をします。何事においても事実を受け入れることは大事です。ですが、あまりにも予想とちがった結果になると、不安になるのです。

 一概にはいえませんが、研究員によっては疑問を抱かない人もいます。それはそれでかまいません。研究の結果をつねに疑うことは、ともすれば堂々巡りにおちいります。それでは研究は先に進まず、その場で足踏みをすることになりかねません。

 どこまで疑い、どの時点で疑問を抱かず先へ進むか。第88研究所では、研究員によって度合いがちがいます。また、どんな結果であれ、それを事実として受けいれて、先へ先へと進むという方針で進めている研究室もあれば、何度も同じ研究や実験を繰り返している研究室もあります。
 程度の問題です。上記のふたつは、あくまで両極端な事例です。

 また、すべてが同じ手法で研究をしているわけではありません。研究テーマによっては、再現性のひくい実験や研究、または一度しか実験ができないということが多々あります。

 そういった場合、データも大切ですが、それ以上に研究員のセンスが重要なファクターをしめることがあります。研究の疑問を勘やセンスで乗り越える。行き詰まった研究のブレイクスルーとしては、よくあることです。ひらめきと言ったほうがわかりやすいかもしれません。

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2005.04.15

ことばのむずかしさ

 出古井です。

 昨日のつづきではないのですが、自分で書いておきながらタイトルが気になりました。
「無言の圧力よりも行動する圧力」としましたが、この「行動する圧力」を肯定しているように思えたからです。
“○○よりも△△”を記号化するならば、“○<△”がいちばん近いでしょう。肯定、否定どちらの意味にしても、この記号はかわりません。

 圧力は変化をするための要因としては非常に有効です。圧力をする側と圧力を受ける側が同一人物でも同じです。プレッシャーがそれです。
 ただしこの場合も、変化するのがよくてもわるくても有効だということです。

 私個人の意見としては、肯定にしろ否定にしろ圧力がいい手段とは思っていません

 昨日の記事では「晩婚化が進んでいる現在では、子よりも親の方が結婚に関しては敏感だと思います。また、子が結婚に無関心だとしても、親が子にかける圧力としてかなりのものだと思います」としています。
 上記のことは“結婚のための圧力としては有効”という私の意見は読みとれると思います。さらに私が既婚者だということを述べています。
 肯定、否定だけで考えるのなら、既婚者の私の意見は、結婚のための圧力を肯定しているようにみえるでしょう。最後の一文は蛇足でした。

 私はことばの使い方が、まだまだ未熟だと思い知りました。

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